伊勢神宮報告です!
伝わるような表現がみつかりませんが、天界(神)と繋がる空間、聖域、神道、神聖なる気…というものが感じられればと思います。
参拝は、外宮から内宮へ回るのが、習わしだそうです。
↓外宮(豊受大神宮)≪衣食住、産業の神様≫
これから参拝させていただくご挨拶と感謝の心をお伝えするため手を合わせます。
内宮でも外宮でも、ご正宮は日頃のご加護に対する感謝を神様に伝える場所と言われています。
個人的なお願いごとは控えるそうです。
バスで移動…いざ内宮へ。。。
↓内宮(皇大神宮)≪天照大神がお祀りされています≫
メインなる 内宮(皇大神宮)御正殿、参拝している時一陣の風がふき、白い布のがふわりと舞い、人々の頭上をお祓いをしているのです。
神々しくて、なぜか涙があふれてきました。
わたしの中の汚れたものが、少しは流されたでしょうか…
感動と感謝で心が高鳴ったのに…なぜか?画像撮り忘れました(-_-;)
参拝後はおかげ横丁にて昼食…ご当地名物《てごね寿司&伊勢うどん》
おみやげは≪赤福≫
初めての伊勢神宮、感動で震えております。
メインなるは明日の早朝参拝。
もっとすごい波動を感じるとか…
楽しみを通り越して、緊張します。
★明日に続く~(^_^)/~
※参拝する心構えの教え、見つけました。。。。
祈るとは、「意が宣(の)る」ということです。
宣とは、宣誓、宣告という言葉でも分かるように、のべること、示すことです。
ですから「祈る」というのは、自分の想いをのべ示すという主体的な働きを意味します。
誓うということです。
自分の思いを神の前で宣言し努力する。その結果、願望が成就するのです。
意がのらない形だけの祈りは「空念仏」となり、現実の世界を揺り動かすことはできません。
拝むは、「おろがむ」ということです。怖れや畏(おそ)れる気持ちの裏返しの行為、自分は何もせずに、奇跡を願う他力本願の姿です。
神仏に対して拝むタイプの人は、物事が自分の思い通りにならないと、「神も仏もあるものか」と、他人のせい、世の中のせいにして、投げやりな気持ちになったり悪口雑言(あっこうぞうごん)を吐いたりしてしまうものです。
そしてその自らの言霊によって、人生の歯車がどんどん狂っていってしまいます。なぜなら、そうなるように自分で「呪詛(じゅそ)」してしまうからです。*呪詛:言葉によって願いを現実化する呪いの一種。言霊返しに遭うこともあるので要注意。
「拝(おろが)む」と「愚か」は、語源が同じです。神の御心に合いません。
神仏の前では、お願いする(拝む)のではなく、自分の決意を宣誓し、そのことへの御加護を神々に請い願うのが、正しい在り方だと思います。
…というものです。
お参りの仕方が変わります。。。