ヨガと平家物語と塞翁が馬

2011年7月 7日 17:42

今朝のマイソール、練習前になぜかお話タイムに...

 

色々な話をしているうちに、古い教えに繫がるということで、現在にも通用する教え、調べてみました。

ヨガの練習や日常生活の中、よい事もいやな事も、うまくいく事もいかない事も、流れては変化していくのでしょうね。

 

すっきりした後の練習は気持ちよかったそうです。

 

 

 

「平家物語」

祇園精舎の鐘の声    諸行無常の響きあり    沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらわす   おごれる人も久しからず   ただ春の夜の夢のごとし
たけき者も遂には滅びぬ   偏に風の前の塵に同じ

祇園精舎の鐘の響きは、全ての作られたものは一定の状態に留まらず移り変わるという「諸行無常」の精神を語っている。
釈迦がなくなる時に枯れたという沙羅双樹の花の色は、勢い栄えるものも必ず滅びる「盛者必滅」の道理をあらわしている。
おごり昂ぶる者も長く続くためしはない。ただ春の夜の夢のように、はかないものである。
勢いの盛んな者も最終的には滅びてしまう。まるで風の前の塵のようなものだ。

 

 

 

「人間万事塞翁が馬 にんげん ばんじ さいおうがうま」

幸福や不幸は予想のしようがないことのたとえ

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。
ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。
この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。
ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。
そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。
近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。
城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。
そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。
しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

「城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものである。」

 

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